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銀河の中心で愛に溺れて

タカラヅカとジャニーズと…とにかくひたすら脳内お花畑

私はなんで宝塚の男役が好きなんだろう

舞台 宝塚

宝塚が好きだというと、とても共感してくれる人がいると同時に「男役」という女性に強く惹かれることがわからないと言われることがある。確かに、宝塚の「男役」は女性だ。でもたまらなくかっこいいな〜って感じるし、私は宝塚の舞台を観て3日間くらいはボワ〜♡っとしてられるようなときめきをもらう訳で、宝塚を観て湧き上がる感情はジャニーズのアイドルであったり、他の異性の俳優さんや歌手を観て抱く感情と同じだ。

 
いつもブログを拝読させていただいているあややさんの記事を読んで、私はなんでこんなに宝塚の男役が好きなのか、少し原点に戻って考えたくなった。
 


ジャニヲタ、初めて宝塚を観劇する - それは恋とか愛とかの類ではなくて

 

"女性が女性に対してかっこいいなという感情を抱くということ"
意外とこれが宝塚に興味があるものの、イマイチはまれない人の悩みなのではないかなと思う。実際私の妹は何度か一緒に宝塚を観劇しているものの、「娘役はかわいいと思うが、男役に対してかっこいいという感情は抱けない。だって所詮女だから。」といつも言っている。
私の場合は女子校出身だから、クールな同期やかっこいい先輩に対して「きゃ〜かっこいい〜♡好き〜♡」と憧れたり、バレンタインにチョコをあげたり…みたいなノリは割と普通だった。別にここでの"好きだ"っていう言葉には恋愛的感情が籠っている訳ではなく(私の場合は)、でも友情というものでもない、憧れに似たなんともいえないものだったのである。
宝塚の男役に対して抱く感情もその延長線上なのではないかと思う。男役は先輩とかクールな同期より、一層男らしいから、その感情は少し恋愛的にもなりうる。だから"お、男役って…お、女の人じゃん……?かっこいいとか……"って足を踏み出せないでいる人にはそんなに気負わないでいいのに〜って言いたい。美人だな、綺麗だなって感じる、その想いが"スキ"の始まりだからね!!!
 
頑張る姿への憧れ
宝塚は様々な面で恵まれた女の子たちが一生懸命頑張る場所だ。女子アイドルでは貧乏だった過去を告白し、夢を掴むためにアイドルのオーディションに応募したというようなエピソードが度々聞かれるけれど、宝塚の場合は基本的にそんなことはなく、多くが小さい頃からバレエを習い、周囲の勧めや自分で宝塚にハマって受験を決意、受験スクールなどに通い合格したというパターンだ。
容姿端麗、バレエも歌もできる、良家の子女、普通に生きていればイージーな人生を送れるであろう女の子たちが、自ら厳しい芸の世界を選び、女の花園で切磋琢磨する。そこには挫折があって、栄光もあって。そんな眩しさを見つめていたい、少しでも応援したい……宝塚が愛される理由は、女の子たちが、自ら掲げた純粋な夢に向かって必死になる姿が同性の心を打つからだとも思う。

女は嫉妬する生き物だ。本来なら宝塚に集まった女の子たちなんて、クラスメイトにいたら、同僚にいたら、自分が好きになった人を華麗に掻っ攫っていくようなハイスペック女子ばかり、応援など以ての外というところだろう。それがなんでだろう、自ら大変な思いをしてまで夢を叶えようとしている姿を見ると、あと意外と多いのだけど舞台上の自分の魅力は十二分に分かってるくせに素の自身の魅力に鈍感だったりする姿を知ってしまったりすると、オペラグラスを動かせなくなってくる。手紙を書きたくなってくる。手紙をお渡ししたくなってくる。グッズを買い占めたくなってくる……あゝ恐ろしや、タカラヅカ

 

夢への伴走者になれる

以前元タカラジェンヌの方と話した時に、宝塚のシステムは現在の女性アイドルの組織システムの手本となっているという話になったことがある。例えばAKBを例に考えてみると、番手をしっかりさせたりセンター(トップ)という位置に特別に価値を持たせるやり方はAKBの総選挙の考えに非常に近いと思うし、組替えは組閣といったところだろう。専用劇場での通年公演も然りだ。AKBは"会いに行けるアイドル"をコンセプトに世間を席巻したが、宝塚は随分と昔からそのコンセプトで世の女性たちを虜にしていたのだから、秋元康氏も小林一三先生には頭が上がるまい(笑)

宝塚は"宝塚友の会"という公式のファンクラブの他に、各生徒に"会"と呼ばれる非公式のファンクラブがある。非公式だからと言って乱立していたり、全く関係ない人がいきなり「◯◯さんのファンクラブ作りました!」とできるものではなく、本人としっかり密接な関係を持つほぼほぼ公式のファンクラブだ。これがすごい。ジャニヲタでありヅカヲタである私がこの宝塚独特のシステムをジャニヲタさんにも分かりやすく語るとすれば、各グループのメンバーそれぞれ(Jr.も含め)にファンクラブがあり、舞台公演のチケット手配やファンレターの管理を行っている。そしてファンによって運営されるこのファンクラブは彼らがドラマや舞台に出演する度に大阪と東京のホテルの宴会場(小さいところだと喫茶店とか)で"お茶会"なるファンイベントが開催する。自担である岡田准一さんで例えるならば、映画「図書館戦争」が公開されるとお茶会は開催され、ファンはホテルの巨大宴会場で岡田くんが話す映画撮影の裏話や役へのこだわりなどのお話を聞いたり、岡田くんとゲームをしたり、握手をしたり、岡田くんの歌を聴いたりできる、というようなものだ。岡田くんのファンクラブが発売する特別なグッズやブロマイドを買うこともできる。読んだ方は思っていらっしゃることだろう、

何この神イベント?!

そうなんですよ、すごいんですよ宝塚って!!しかも、公演の時にはファンクラブの会員のみ生徒さんにお手紙を手渡しすることができる。つまりコンサートの時にファンクラブのメンバーだけが自担にお手紙手渡しできるのだ。もう1年以上現場ないわ〜なんて悩む日なぞ存在しえない。ひとつ遠征が終わればまた次の遠征日程を練る。忙しいし、お金もないけど、すっごい満たされてる。そんな日々。ね?恐ろしいでしょ?宝塚沼深いでしょう?

 

私はしがないただの端っこヲタだけど、中には宝塚音楽学校時代から応援し、お弁当の差し入れから洗濯、ペットの世話までする方々もいらっしゃる。半端じゃないファンと生徒の信頼関係と絆がこの100年間を守り続けてきた……時には黙ってついてゆき、時には背中を押し、共に笑って、共に泣く、宝塚のファンには夢への伴走者という言葉以外うまい言葉が見つからない。

ファン歴ウン十年といったすごいファンの方もいらっしゃるから、ここ1、2年のファンになったならないを争う古参新規戦争もほぼ起こらず、基本的に平和。このきっちりと築き上げられたファンと生徒のシステムも私が宝塚を好きだなと思う理由だ。

 

サヨナラの美学

盛者必衰、諸行無常じゃないけれど、必ず始まりがあれば終わりがある。これもまた宝塚の魅力だ。そもそも虚像である舞台の上に生きる人が更に異なる性別を演じる。虚像の上に虚像が重なるとでも言おうか、なんかもうひたすら奇跡みたいな感じ。だからそんな奇跡にも必ず終わりはくる。もちろん寂しさも悲しみも名残惜しさもあるけれど、去りゆく人がいるからこそ新たな煌めきが生まれる。そしていつか終わってしまうものだという覚悟がいつもどこかにあるからこそ、その期間限定の輝きに惹かれるんだと思う。アイドルにせよ、俳優さんにせよ、リアルタイムで応援している時、私はいつも"今、この瞬間の目撃者でいられること"の幸せをすごく感じるんだけど、宝塚はその感情をギュッと凝縮したようなものが詰まってる気がする。下級生としてロケットで満面の笑顔を浮かべラインダンスに励んでいる瞬間、新人公演で役がついて頑張っている瞬間、新公で主演をしたり、バウホールで主演をしたり、銀橋を渡ったり、階段降りのメンバーに入ったり…ひとつひとつの二度と目撃できない瞬間をナマで見守ることができる。男役が好きな理由、というより宝塚が好きな理由というのに近いけれど、宝塚大劇場という不思議な劇場で、選ばれた人しか放つことのできない輝きを目撃してしまったらもう戻れない気がする。

 

 

人生で初めての贔屓の退団というのを経験して、凰稀かなめさんが好きだから宝塚が好きなのか、宝塚が好きだから凰稀かなめさんが好きなのか、ちょっと考えたくなったこともあってこの記事を書こうと決めた。考えれば考えるほど色んな想いが頭をもたげたけれど、ひとつ言えることがある。私は宝塚が好きだということ。そして私は凰稀かなめさんが好きだということ。

もう男役凰稀かなめが観れないという現実を前に、正直バレンタインの頃は、今頃虚無感がすごいことになってしまうのかと思っていた。けれど今私はそこまで寂しさを感じてない。それはやっぱり凰稀かなめさんという人が、最後の最後まで「"サヨナラ"を見せたいんじゃない、夢や愛を見せたい」と言い切り、"これからの宙組"のことを何度も何度も口にして去っていったからな気がする。凰稀かなめという男役が退団してしまうのではなく、宙組6代目トップスターが7代目に襷を渡すというような感じでかなめちゃんが卒業していってくれたから、私は今朝夏まなとさんと実咲凜音さんのまぁみりコンビが描き出す宙組が楽しみすぎて仕方ないのだと思う。だから私が最後に挙げる"私が宝塚の男役が好きな理由"は最高に素敵な男役を、1番初めに好きになったからだ。

 

少し遅くなってしまいましたが、凰稀かなめさん、宝塚歌劇団卒業おめでとうございます。大好きです!